吉田忠雄
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吉田忠雄は1908年富山県下中島村(現魚津市)に生まれた。
郷里で兄のゴム長靴屋さんを手伝っていたが、20歳のときに貿易商になることを志して上京して陶器の輸入会社に就職するが、1933年の世界的な恐慌で会社は倒産してしまう。
この時、この会社の倉庫に大量のファスナーがあった。戦争が迫っていた時期、ファスナーは絶対売れると踏んだ吉田は、それを全部自分で買い取り、販売を始めた。翌年1月にはサンエス商会を東京に設立、ファスナーの国内生産にも取りかかる。これがYKKの前身である。
この会社は1938年に吉田工業と改名する。戦後の1946年にYKKの商標を使用開始1994年に社名もYKK株式会社に変更した。
戦後、偶然店を訪れたアメリカ人にファスナーの品質の悪い物があることを指摘されたことをきっかけに、吉田は手作業で物を作ることの限界を認識し、当時の価格で1200万円を拠出しアメリカ製のファスナー自動製造機を購入する。当時の吉田工業の資本金が500万円であったことを考える大きな決断だった。
この賭けは成功し、YKKのファスナーは売れに売れた。1961年にはアルミ建材にも進出。そのノウハウにより、ファスナー自体の品質も上がった。吉田忠雄のオイルショック時のエピソードで有名なものがある。
「我々が百億円の損失をかぶる。だから皆さんは出し惜しみや値上げはしないでほしい」
消費者に製品を供給するために、メーカーが泥をかぶらずにどこが責任を取るのか、というのが彼の哲学が伺える。
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